2011年12月12日月曜日

スラジュさんイラスト展、無事終了♪

12月10日・11日、西荻窪のキスカフェにてスラジュさんのイラスト展が無事終了しました。


スラジュさんと親交のあった友人たちやこの事件に関心を持った方たち、裁判でご協力いただいている弁護団の先生などが、イラストを見ながらスラジュさんの人柄に思いをはせる素敵な機会になりました。
スラジュさんと同時期に収容されていたという外国人の方も応援に駆けつけ、当時のスラジュさんの様子を奥様とお話しする場面もありました。

事件の真相究明に向けて動いていくのももちろんですが、多くの方にまずはスラジュさんがどんな人だったかを知っていただき、純粋に奥様と日本で暮らしたいと願っていたことを分かっていただく機会をこれからも作っていきたいと思います。

2011年11月22日火曜日

スラジュさんのイラスト展をやります♪

スラジュさんが生前描いていたイラストを西荻窪駅そばのカフェで2日間限定で展示いたします。スラジュさんの人柄が分かるような素敵なイラストです。ぜひお立ち寄り下さい!
メニューにはスラジュさんの奥様手作りのアフリカ料理も並びます(ちなみにこの奥様のアフリカ料理の収益はスラジュ基金に入ります。皆さん注文してくださいね☆)。

日時:12月10日(土)・11日(日)
場所:KISSCAFE(西荻窪駅徒歩5分)
    http://www.kiss-cafe.jp/


2011年11月15日火曜日

はじめまして!

こんにちは。10月からボランティアをさせていただいている平沼です。
私は今大学4年生で、非正規在留者に関する卒業研究を行っています。その研究のために日本における非正規滞在者に関する本を漁っていたところこのAPFSを知り、ボランティアに参加しました。
まだ活動し始めて日が浅いのですが、今までに様々なバックグラウンド、問題を抱えた外国人、またその家族の方が相談に来ていて、事務所に来るたびに驚くばかりです。

私はボランティアする傍ら、非正規滞在者の方にインタビューをさせてもらっているのですが、実際に彼らと話すと困窮した情況の中でも明るさと柔らかさがあり、「不法滞在者」として一般的に語られるイメージとはかけ離れた印象を受けます。同じ日本社会で生活していながら、多くの人は彼らの抱える問題を知ることなく生活しています。日本人がしたがらない仕事をし、一緒に日本社会を支えているメンバーである彼らに、これほどまでに無関心でいいものなのか、間違ったイメージを持って敬遠していい問題なのか、と自問する日々です。

バングラデシュのコンサートに行きました

ボランティアの池田です。11月6日(土)、ウットロンという在日バングラデシュ人のカルチャークラブ主宰のコンサートがあり、代表の加藤さんと行ってきました。
 会場に来ているお客さんのほとんどがバングラデシュの方でした。女性はきれいな民族衣装を着ていたり、日本語ではない言葉があちこちから聞こえてきたりして別の国に来たような感覚になりました。この日はイードと呼ばれるイスラム教の大事な日に当たっており、あちこちで「イード・ムバラク!」という声が聞こえました。

 コンサートは歌、ダンス、演劇(ドラマ)といった内容でした。横の画面に日本語訳も表示されていたので、日本人の私たちにも内容が分かりやすかったです。バングラデシュの有名な歌手の歌や、日本の八木節などが歌われました。バングラデシュの楽器やダンスと共に、観客の叫び声がコンサートを盛り上げていました。

 ウットロンのコンサートは今年で23年目になるそうです。自分が生まれた頃から続いていることにとても驚きました。これからも30年、40年と続けていって欲しいです。

2011年11月7日月曜日

スラジュさん事件 不起訴報道について

一部メディアで、スラジュさん事件に同行し昨年末に書類送検となっていた入国管理局職員について千葉地検が不起訴の方針を固めるとの報道がありました。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111102-OYT1T00775.htm

しかし、これは公式発表ではないため、本日弁護団の先生が千葉地検に確認を取りました。

報道について、地検は全く関知していないとのこと。処分予定もまだ何とも言えない、との回答でした。読売の誤報・・・!?この誤報でどれほどスラジュさんの奥様、友人たちの気持ちが傷ついたか・・。報道する方にはこうした自覚があるのでしょうか?そうしたことにも責任を持って報道してほしいと切に思います。

2011年10月31日月曜日

スラジュさん国賠第1回期日が終わりました

本日はスラジュさん事件の国家賠償請求訴訟の第1回期日でした。

スラジュさんの奥様からの意見陳述があり、5分ほどでしたが今の気持ちを訴えました。この裁判を通して事件の真相を明らかにしてほしい、入国管理局に正式に謝罪してほしい、この二つをお願いしていました。陳述の中で、事件の数日前の面会の際にスラジュさんが「愛だよ、愛があるから私は絶対諦めないの」と言っていたその言葉が今でも毎日耳に聞こえてくると、奥様がおっしゃっていました。20年以上も一緒にいたスラジュさんが亡くなり、その喪失感はいかばかりかと胸が詰まりました。

一方で国のほうは、認否を留保するの一点張りで、誠意を全く感じさせないものでした。

次回は来年1月16日14時~705法廷です。今回は傍聴人が70~80人ほどお越し頂き、傍聴席に座れずに法廷の外で待っている方もいました(傍聴出来なかった方、申し訳ありません)。次回も傍聴席を埋めて、この事件が注目を浴びていることを示したいと思います。傍聴のご協力どうぞよろしくお願いいたします。

2011年8月31日水曜日

第1回期日決まりました! 

スラジュさん事件国賠訴訟の第1回期日が決定しました。
2011年10月31日(月)14時~東京地裁705法廷です。
 
皆様の傍聴が真相究明へのパワーになります!
ご協力よろしくお願いいたします。

2011年8月29日月曜日

スラジュさん事件報告集会

昨日、スラジュさん事件の報告集会が無事終了しました。
50名弱の方が参加し、事件のこれまでの経過報告や弁護団の先生によるこの事件の問題点(例えば、法定外の戒具の使用の事実、執行経過を記録するはずのビデオ撮影を恣意的に中断していた点など)、今後の事件の動向などの講演がおこなわれました。

今回の報告会には、大阪から来たスラジュさんのいとこや友人・支援者の皆さんも駆けつけ、生前のスラジュさんとの思い出、事件への思いが語られました。また、スラジュさんが描いた魅力的なイラストも展示し、スラジュさんの人となりが偲ばれました。

今後は国賠の中での真相究明となります。国賠日程などはAPFSサイトやブログなどでアップしますので傍聴へのご協力、よろしくお願いいたします!

2011年8月6日土曜日

スラジュさん国賠記者会見 掲載されました

昨日のスラジュさんの国賠記者会見、ネット上にいくつかアップされました。
期間限定だと思いますが、確認してみてください。




新聞は、朝日・日経・東京新聞の8月6日付朝刊それぞれ社会面に掲載されました。

2011年8月5日金曜日

スラジュさん事件国賠提訴しました

昨年国費送還中に死亡したガーナ国籍のスラジュさんの事件に関して、本日午前中に国家賠償請求訴訟を提訴しました。スラジュさんの奥様とお母様が原告となり、国と、護送に付き添っていた入管職員9人に対して、損害賠償を求める提訴です。

通常、国のみが被告となりますが、証拠保全の中で出てきた資料により、送還時に入管職員が自費で購入した結束バンド(戒具として認められていません)をスラジュさんに使用したり、送還状況をビデオに撮っていたにもかかわらず途中で撮影を中止するなど、過失行為というよりも故意による暴行ともとれる事実が判明したため、国と共に入管職員も責任を負うべきとなりました。
ちなみに、証拠保全の申し立てをした時、法務省は当初、まさにこうした該当する入管職員の聞き取り資料などの提出を拒みました。その後の裁判所の画期的な開示命令により、資料が出され、上記のような入管職員の行動が明らかになりました。法務省は明らかにこうした重大な事実を隠蔽しようとしていたわけです。

午後には上記提訴について東京司法記者クラブにて記者会見を行いました。多くの記者が会見に参加し、外部からはエコノミストなど海外メディアの記者も参加しました。


2011年7月12日火曜日

立教大学の皆さんが事務所にお越しになりました

ボランティアの池田です。
2011年7月12日(火)に、立教大学の皆さんがAPFSの事務所に訪ねてこられました。
 
現在、在留特別許可を求めて活動をしているフィリピン出身のガルシアさん、東日本大震災の後、岩手県陸前高田市で炊き出しを行ったビルマ(ミャンマー)出身のヌエヌエさんの話をそれぞれ聞かせていただきました。
 
ガルシアさんはもともと会社経営のため「投資・経営」の在留資格で日本に入国しましたが、会社経営以外の仕事をしてしまったため入国管理局に収容されてしまいました。入国管理局に収容され、「帰れ帰れ」と言われ続けたという話は私にとって衝撃的でした。「高校生になった息子さんのためにも在留特別許可を取るために頑張る」、とガルシアさんは前向きに話して下さいました。
 
また、岩手で炊き出しを行ったヌエヌエさんは炊き出しを行うことになった経緯、当日の様子などを詳しく話して下さいました。立教大学のみなさんの感想で多かったのが、「地震が起こったあと祖国に帰る外国人が多かったにも関わらず、日本に残って炊き出しをしたヌエヌエさんたちの行動力に驚いた」というものでした。
 
立教大学のみなさんは2人の話に熱心に耳を傾けていました。
私も2人の話を聞いて、たくさん考えさせられました。
その後は事務所近くのバングラデシュ料理店で交流会を行いました。おいしいカレーを食べながらの交流会はとても楽しかったです。ありがとうございました。

2011年6月24日金曜日

早期起訴要望書 739筆 提出しました

 本日、「スラジュさん事件の早期起訴処分を求める要望書」739筆を千葉地検に提出しました。スラジュさんの奥様から直接、担当の村上検事に手渡しすることができました。今回、村上検事は要望書を受け取るのみで、スラジュさん事件の処分の目処などには言及しませんでしたが、739筆分の要望書の重みと共に、署名してくださった皆さんの想いは村上検事に伝わったと思います。
昨年末にこの事件が書類送検されてからすでに6ヶ月・・。今回の要望書が起訴処分への後押しになると信じています。

要望書にご署名頂きました皆さま、本当にありがとうございました。スラジュさんや奥様の友人知人の皆さまはもちろんのこと、この事件をたまたま知り、ご自分で要望書をコピーして周りの方に声をかけて集めてくださった方が多くいたこと、本当に多くの方がこの事件の早期真相究明を望んでいることを感じました。

本日千葉地検にて スラジュさん奥様とAPFSスタッフ
スタッフが左手で抱えているのが要望書の束です
現在、スラジュさんの事件は、民事のほうでも弁護団の先生方が国賠を検討しております。今後もこのAPFSブログやサイトで報告していきますので、引き続きご支援のほど、よろしくお願いします。

2011年6月16日木曜日

ボランティアの感想です。(宣さん)


こんにちは。ボランティアの宣です。

本日は代表の加藤さんに付き添って、品川の入国管理局に行ってきました。初めての入管かつ収容されている方との面会があるということで、前日から緊張していました。

立派にそびえたつビルの上の階に収容施設はありました。収容されてしまうと、外出することもできないのはもちろん、自由が拘束される厳しい環境におかれるとのお話を伺ったことがあったので、日常の中に平然と存在していることに違和感を覚えました。

収容所でお会いした彼らは、(超過滞在以外には)罪を犯すこともなく日本に約20年間滞在していました。日本社会で捕まることが非日常な私にとって、いつ捕まるかわからないという日常を暮らす彼らの苦しみは、想像を絶しており、やりきれない気持ちになりました。これからは私だけでも面会に赴けるようになって、一人でも多くの人の助けになれるよう頑張りたいと思いました。

2011年6月11日土曜日

お茶の水女子大学の皆さんがお越しになりました

お茶の水女子大学の皆さん(21名、引率 熊谷圭知教授)がAPFS事務所を訪問してくださいました。

理事のハッサンさん(バングラデシュ出身)より、2011年3月以来、岩手県陸前高田市・大船渡市で行っている被災地への炊き出し活動について、報告をしました。

ハッサンさんは自ら経営しているレストランの仲間と共に、6回程炊き出しに行っています。率先して、被災地に入ったハッサンさんの熱弁に、皆さん聞き入っていました。

また、代表理事の加藤から、非正規滞在者が日本社会において抱える問題点についてお話をしました。生まれながらに非正規滞在者となってしまう子どものことや、入管法の改正に伴い、非正規滞在者が外国人登録からはじかれてしまうことに、皆さん、特に関心を持っていたようです。

当団体活動に対して、多くの方に関心を持ってもらうことが大切です。
今後も同様の機会を設けることができればと願っています。

2011年5月16日月曜日

APFS国際シンポジウムを終えて

昨年末よりボランティアとして活動している宣です。このたび韓国語を話せるということでボランティア開始以来、一番の大仕事を受け持つことになりました。5月1日に開催された国際シンポジウムで韓国からゲストを招き、言葉等の助手として一日働きました。一ボランティアとして、その日の模様をご報告します。

5月1日、「外国人住民の暮らしを支える-日本と韓国の非正規外国人支援の経験から-」という表題を掲げ行われた国際シンポジウム。今回のシンポジウムでは、韓国で非正規滞在外国人支援を行っている団体「アジアの窓」からゲストをお招きし、外国人住民の方々の生活支援について両国の現状を報告しました。まずは山口元一弁護士より、日本の在留特別許可の現状とそれがどのように変遷してきたのかという経緯について、法律の視点からお話し頂きました。続けて加藤代表理事により、APFSがこれまで歩んできた道、そしてこれから取り組んでいく道筋について発表しました。「在留特別許可に係るガイドライン」が改訂されてきたと言えど、まだまだ解決すべき問題が多くあるのだということを痛感しました。家族が離れ離れになってしまうこと、日本で育った子どもがいても在留特別許可を必ずしももらえるわけではないこと、非正規で入国した人は問答無用で収容されてしまうこと、そして未だ残る彼らへの偏見や先入観。一歩一歩着実に前進していかなければならない、そのためにできることがあれば少しでも取り組んでいかなければならない、そう感じました。


続けて、韓国の外国人住民支援団体「アジアの窓」所長、イ・ヨンアさんにお話しいただきました。驚いたのは、韓国の支援団体の活動は日本のそれより進んでいる点が多いということです。移住者のための語学教室や情報サイトの運営、コミュニティ維持など積極的に支援活動が行われています。その一方で、日本に比べ外国人の内、非正規滞在の方の比率が非常に高く、非正規滞在の子どもは学校を卒業した資格さえもらえないという深刻な問題もありました。日韓それぞれが抱える問題の解決のため、相互に助け合いながら乗り越えていく必要があると強く感じました。

最後に佐々波記者より、日本からフィリピンに強制送還された子供たちの帰国後の様子を報告していただきました。その報告から明らかになったのは、子どもだから適応能力が高くすぐに日本ではない地にも慣れるという見解は誤りであるということです。言葉もわからない、文化も違う、友達にばかにされる。そんな環境に置かれながらも、もがき必死に食らいつく子どもたちの姿がありました。「いつか日本とフィリピンの架け橋になるんだ」私は悔しさと同時に未来への希望を感じました。


パネルトークのコーディネーター渡戸教授の計らいで、会場にいた今まさに在留特別許可を取ろうと頑張っている少女の意見を聞くことができました。実際に長い間闘い抜いて在留特別許可を勝ち取ったガルシアさんが彼女を激励しました。「どんなに辛くても、何年かかっても必ずHappyになれる日が来るから、その日までみんなで頑張りましょう」彼女だけでなく会場にいた全員が勇気をもらったはずです。当事者ではない分、彼らの痛みや苦悩を100%共有することは難しいのかもしれない。でも、私にできること、私が考えられること、一つ一つに向き合い、彼らにそのHappyが少しでも早く訪れるよう頑張っていきたいと改めて感じることのできた一日でした。

2011年5月12日木曜日

ボランティアの感想です。(長島さん)

A.P.F.S.では社会人・学生など様々なバックグラウンドの方がボランティアとして活躍しています。  
ボランティアとして活動してみての感想を、長島さんに寄せてもらいました。

わたしが、入管を知ったのは7年前のことです。東日本入国センターに収容されている人が書いた手紙を目にしたことからです。フランス語圏の人たちのものだけなので、ごくわずかですが、この先進国日本でこんなところがあったのか!と本当にショックでした。

オーバーステイだけを理由に狭いところに長期間収容され、病気になる人もたくさんいます。仮放免を得るために煩雑な手続きをし、多額のお金(保証金)も用意しなければなりません。しかも仮放免になっても働くことはできません。また収容されるかもしれません。

そのころ海外メディアで、アフリカの人たちがあふれるように乗っている小さな船が、たとえばイタリアのリゾート海岸に流れ着くといったニュースをよく見ました。命を落とす人も大勢いました。パリでは、不法滞在者のデモがよくあります。しかし日本では、これほど多くの外国人が暮らしているのに、入管を知っている人はほとんどいません。ですからわたしがこのような実態を説明しても、なんのことだか分からない人がほとんどです。

でも最近わたしの住む杉並区では外国人のための無料相談会がありました。少しずつですが行政が関わってきているのだと思います。

外国人が日本で暮らしているのですから、A.P.F.S.のような団体と一緒になって、お互いに理解できるように、そのために日本で暮らす外国人の悩みを聞いて、手を貸そうと思います。

2011年5月11日水曜日

スラジュ弁護団 慰労会を行いました

5月9日、APFSは日ごろスラジュさんの事件でお世話になっているスラジュ弁護団の先生方を都内飲食店に招いて慰労会を行いました。弁護団の先生方は皆さんボランティアでこの事件の真相解明のために動いてくださっています。

会に参加したスラジュさんの奥様から、弁護団の先生に感謝の気持ちが述べられました。奥様はスラジュさんが突然亡くなり、自分の生きている意味を見失いそうになっていましたが、先生方の存在で何とか生きる力を取り戻せたとおっしゃっていました。

先生方もこの事件に関わる熱い気持ちを話していました。また、今後の国賠への戦略、検察へのアプローチなど議題満載の会となりました。

ちなみに、今回会場となった飲食店は、APFSの会員さんが働く中華料理店。頼もしく働いている姿が見れてよかったです♪

2011年5月2日月曜日

バングラデシュカレー500食提供活動を終えて(ハッサン)

シャジャハーン バイタリク(ハッサン)(A.P.F.S.理事/パドマ)

※ハッサンさんのレストラン、パドマのblogへのリンクを付けました(2011/5/2)。
リンクは、→こちら←からご覧いただけます。

○被災地に行こうと思った動機
私のできることやりたかった。「大変かな」といくら思っても、被害者の気持ちは分からない。私たちは分からない。家族がなくなるとか、どのくらい辛いかな。とても辛い。家帰って、風呂入って寝られない。どういう世界かな。その人達(被災者)のために、何でもいいから、「みんな頑張ってください」と、出来る限りなんでもやりたい。私の仕事場(パドマ/イタリア・バングラデシュ料理)これだから、私一番(食事の提供が)やりやすい。みんな(に)一瞬でも温かいもの(を)食べて(もらって)、私の気持ち伝えようかなと思った。

○取材よりも、被災者のために
私の国の名前も宗教も言わないで(現地に)行こうと思った。言いたくなかった。宣伝のためにやっていないし。取材の人にも、「取材のために来ていないし」と(言って)取材の人たちも断った。仕事やりながら聞いてくれと言った。その(取材の)ためじゃなく、同じ人間として(被災者を助けるために来た)。

○みんな一緒に
(自分に)日本から出た方がいいよという人もいるが、みんな一緒だから、出ていくなら日本人みんな(が出ていくとき)じゃないと。

○人生で初めて幸せ
幸せ。人生で初めて幸せと感じた。私、3日くらい寝ていない。緊張感もすごいし、重い仕事もすごかった。往復(車を)運転して、身体はボロボロの状態だった。(活動後家に帰って)お風呂に入って、缶ビールを飲もうとしたが、ビールを飲めないくらい疲れていました。身体は。

4時間寝たら、仕事に戻った。身体の疲れも全て取れ(てい)た。それはなぜか、幸せの気分だから。幸せだから、身体の疲れもすぐに取れた。普段は長時間運転すると、足に痛みが出るが、今回は何とも感じなかった。

みんな年寄たち、あんな苦しい中頑張っている。寒い。食べ物がない。外出られない状態になっている。雪が降っている。おにぎりだけ、味のないおにぎり、ただのごはんだけ食べて。(その光景を見て、自分は被災地で)朝から食べられなかった。私たちこんな贅沢な生活しているのに。それ考えると食事が出来なかった。そのとき(食事の提供が終わった後)、(被災者に)もらったおにぎりを初めて食べた。

500人の食事作ることは、私プロとして難しいことではなかったが、何が違うかって、今まではお客さんのために作る。お客さん食べて、お金払う。商売だから、売れたらいいこと。売れなかったらしょうがない。今回の場合は、何かの原因でミスがあったら、時間が遅れたりしたら、代わりがない。500人約束した、私がやると大丈夫と責任をもった。何かの原因で、出来なかったらどうしようと、失敗許せない状態、すごい緊張感、プレッシャーがかかった。そういう経験は初めて。それが無事にできて、幸せな気分になった。今まで、何が幸せと考えたことなかったが、(今回)幸せを味わうことができた。おじいさん、子どもたち、おかわりして喜んでくれたことは、すごい人生、忘れられないこととして残る。

○女鹿さん(現地で調整をしてくれた県庁職員)と市役所職員に感謝
加藤さんの友達、女鹿さんのおかげ言っても、おかしくないくらい、(女鹿さんは)大変大事な仕事をしたと思う。助かりました。そうじゃないと、下道(したみち)ナビ(が)ないし、人もいないから聞けないし。情報とか教えてもらったり、(女鹿さんが)6時に(インターチェンジに)来(てくれ)た、(きっと女鹿さんもあまり)寝ていない。それに感謝する。向こうの役所の方たちを受け入れてくれたことに感謝する。そうじゃないと行くこと出来なかった。

○岩手県大船渡市の皆さんへ
色んなものがなくなったり、家族がなくなったり、友達がなくなったり、胸が悲しいでいっぱいだと思うけど、行く先もないし、生きていく気持ちもなくなっている(と)感じ(ることがあってもそれ)はおかしくない。
自分のためだけでなく、みんなで頑張らなきゃ。みんなあなたたちの心強くするために応援しています。全国のみんな、世界のみんなのためにもう一回ゼロからやり直し、心強くして、(被災地の)みんな強いと思う。絶対乗り越えられる。それ信じて頑張ってください。ありがとうございました。

○末先小学校で皆さんから拍手を受けて
みんな、ありがとうございます。拍手を受けたのが、すごく恥ずかしかった。逆じゃないですか(私たちが皆さんに拍手を本来ならすべきなので)。すごい恥ずかしかった。(被災者の皆さんが東京に住んでいる)私に文句言っていいから、叩いていいから。(私は)東京で贅沢生活やって、(被災地の皆さんは)あんなひどい目に合わなくていけなくて、(でも)私たちに拍手をしてくれた。恥ずかしかった。

○買い占めに一言
(東京は)買いすぎて、パニックになっている。向こう(被災地)は(食事が)おにぎり一個。(東京は)あれない、これないって、買っている。何も(支援活動を)やらなくていいから、(まずは)一度(被災地)見てきてほしい。自分のやっていること(買い占め)の間違いに気が付くと思う。

○これからに向けて
向こうにしばらくいて食べ物作ったり、向こうの解体を手伝ったりしたい。
その代わり、(その間)私の会社誰か見てくれたら。。

2011年4月28日木曜日

ボランティアの感想です。(池田さん)


A.P.F.S.では社会人・学生など様々なバックグラウンドの方がボランティア
として活躍しています。  
ボランティアとして活動してみての感想を、池田さんに寄せてもらいました。

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2010年の11月からボランティアをさせていただいている池田です。

私がボランティアを始めたきっかけは、大学生の頃に在日外国人について研究をしていたことによります。大学3年の夏に、知り合いの紹介で地元愛知県豊田市のNPOにお邪魔したときに、その地域に多くのブラジル人が住んでいることを知りとても驚きました。その経験から、日本にはどのくらい外国人が住んでいるのか、なぜ日本にいるのかということに興味をもち始め、大学で勉強をしていました。また、学生時代は外国人留学生のチューターや地域の日本語教室のボランティアをさせていただいており、日本に住んでいる外国人と関わる機会が多かったため、卒業した後も在日外国人に関わることが何か出来ないか探していたところ、A.P.F.S.を見つけ、ボランティアを始めることにしました。

今は毎週一回、日本語で書類をまとめたり、日本語の書類を英訳したりしています。相談者の方と一緒に弁護士事務所に行ってお話を伺ったりもしました。在留特別許可に関する書類が多く、最初は意味がわからない言葉が多かったのですが徐々に分かるようになって来て、相談者がどういう状況にいるのかが分かるようになってきました。

ボランティアを始めて約半年が経ちましたが、いつも考えさせられることが多いです。人が国を越えて他の国で生活することはそんなに簡単なことではないんだと実感できました。また、ボランティアをして初めて知ったことが多く、私と同じように多くの日本人が外国人の問題について知らないと思うと、ボランティアとして多くの人に外国人の現状を知って欲しいと思うようになりました。私が出来ることはそんなに多くないとは思いますが、自分が出来ることを頑張りたいと思います。

2011年3月29日火曜日

バングラデシュカレー500食提供活動を終えて(加藤丈太郎)

加藤丈太郎(A.P.F.S.代表理事)

A.P.F.S.は「国境をこえて、共にいきる」という理念を掲げて活動をしています。今回の活動はまさに、A.P.F.S.が目指している理念そのものでした。

今回の活動は、理事のハッサンさん(バングラデシュ出身)の「国関係なく、みんなで助けたい」という強い思いから実現をしました。ハッサンさんの猛プッシュもあり(笑)、バングラデシュカレー500食提供活動は驚異的なスピードで立ち上がりました。3月24日(木)活動発案・調整開始、3月25日(金)活動決定・仕込み、3月26日(土)出発、3月27日(日)活動というスケジュールでした。NGO/NPOだからこそ、この短期間で実現出来たのだと改めて思います。

不眠不休でハッサンさん、勝田ひとみさんをはじめ、パドマ(イタリア・バングラデシュ料理)の皆さんが仕込みをやってくださいました。皆さんのチームワークとガッツは本当にすごいです。

また、今回の活動は加藤の学生時代の友情が実を結んだものでした。現地で調整を色々としてくれたのは、岩手県職員女鹿智恵さん。女鹿さんは大学院時代、国際関係学を学んでいた頃の同期です。25日(金)はほぼ一日中、女鹿さんと電話をしていました。こちらの思いを汲み取り、きっと調整で大変なこともあったはずですが、最後まで笑顔でやりきってくれた女鹿さんに心から感謝をしています。

避難所の中を周り、被災者の皆さんとお話をさせていただきました。
○旦那さんが波にさらわれたけど、旦那さんの分まで懸命に生きようとしているおばあさん。
○被災した親戚を助けるために北海道から岩手まではるばるやってきた中学生。
○自分も被災したにもかかわらず、地域の人のために昼夜献身的に働いている町会の方々。
皆さん、とても大変なはずなのに、一生懸命お話をしてくださいました。

避難所生活はストレスが溜まると言われていますが、みんなが協力をして、輪を作って、励まし合って生きていました。大船渡市の人の強さを感じました。きっとこの人たちなら、復興できる。そう思いました。気が付くと、自分の方が励まされていました。

カレー提供活動の終盤、自然とこんな言葉を皆さんにつぶやいていました。「国難の時期、みんなで力を合わせなきゃ。東京も頑張ります。お互い頑張りましょう。」原発問題、計画停電、買い占めパニックなど東京が抱える問題も小さくはありません。しかし、最も被害を受けた東北のことを忘れてはいけないと思うのです。

「国境をこえて、共にいきる」、今、この理念が求められていると思います。ハッサンさんのように日本のことを誰よりも考えている外国人もいます。今回限りで終わっては自己満足です。次、A.P.F.S.として被災地に何ができるのか、考え、実践していきます。

「大船渡は本当はとても美しいです。ぜひ復興したら遊びに来てください。」と何人もの方が言ってくださいました。また、必ず戻りたい、そんな気持ちを強くしました。

バングラデシュカレー500食提供活動を終えて(勝田ひとみ)

勝田ひとみ(A.P.F.S./パドマ)

私を含めて、東京でテレビを見ている人は「やりたい(現地に行って支援したい)」という気持ちはあると思うけど、すぐに実現できることではなかった。東京にいるとすごくもどかしい。何をしたらいいのか分からない。今回たまたまこういうチャンスで行けたことがありがたかった。



―準備は大変でしたか。
量が多いし、単純に時間がないし(行くことが決まったのが3/25、出発が3/26)、流通も不自由で材料の仕入れも大変だった。自分は大変だけど、それ以上に、自分よりも大変な人達がいるので、それほど苦ではなかった。もし、これが普通の(営利目的の)イベント・仕事だったらやってられないと思ったけど。


―出発から現地に着くまではどのような気持ちでしたか。
私の中でも興奮していた部分がある。道のりは長かったけど、身体は疲れなかった。道中のガソリン(の給油制限)であったり、荷物が重たかったりで、道も悪かったので、そういうのが心配だったのはあった。(現地に)時間どおりに着けないと、迷惑がかかるのでそれが心配だった。


―現地の被災の様子を見て感じたことは
テレビでは毎日そういう様子を見たんだけど、実際そういうのを目の当たりにすると、何というか、何だろう、何なのかな、ショック。私たちは大変だなと思う だけだけど、現地にいる方は今までの人生で築いてきた家財道具が流されて、片づけて、自分たちの家を確保しなければならない。気の遠くなるような作業だと 思う。大した力にはなれないかもしれないけど、私でも役に立てたらと思う。


―現地で一番印象に残っていることは。
現地の人達の助け合い精神。東京では水の買い占めだとか、「米がない」とか、「牛乳がない」とか言っている。向こうでは水があるわけでもないのに、「水2本くれるよ」と(給水車の人が)言っても、「1本でいいよ。他の人に分けてあげて」とみんなで助け合っているのがすごく印象に残った。東京は(物資の)争奪戦という感じなのに。(現地は)助け合っているのに感銘を受けた。例えば、あちらの方がホッカイロを私たちにくれたり、避難所で塩結びやかもめの卵をいただいたり、そういう気持ちがありがたかった。あっちの人から励まされたり、逆に応援してもらったりして、逆に励まされた。


―岩手県大船渡市の皆さんへ一言
体育館も灯油ストーブがあるとはいえ、床がしんしんと冷えてくる感じがあった。2週間経ったので、最初の頃の緊張感もとけて、疲れがどっと出てくる頃だと思うんですけど、あちらの方が、こうなっちゃったけど、前向きな方向に考えている方が多かったので、それを頑張っていただきたいし、少しでも役に立っていただけたらなと思いました。結構(皆さんが支援者に対し)謙虚なんで、皆さんもっと言っていいと思う。


―これから勝田さんがやっていきたいことは。
テレビでは連日見ているけど、実際現場に行ってきて、現場の様子を直に見れたので、見たり、聞いたり、感じたことをこちらの人に伝えたりすることだと思う。今、(自分が経営している)お店に写真を貼って、お客さんに話をすると、皆さん聞きたがる。少しでもこちらの方に伝えられたらな。もう一度、機会があれば、炊き出しもやりたい。

2011年3月24日木曜日

スラジュさんの死から1年

昨年送還中にスラジュさんが亡くなってから、3月22日でちょうど1年が経ちました。
短い間の付き合いとなってしまった私ですら、生前のスラジュさんを思い出しました。奥様にいたってはおそらく溢れるばかりの思い出とともに1年を振り返ったのではと思います。

私が思い出すスラジュさんは、収容中の面会時にもかかわらず奥様と和やかに話している姿です。いつも奥様の体調を気にして、日本語で書いた手紙を渡していました。付き合いの長さ、仲のよさが伝わる光景でした。

写真は、22日にスラジュさんと奥様のお友だちがしのぶ会を開いた時のもの。素敵な写真ですよね。

*千葉地検に要望書を提出する予定は延期となりました。引き続き要望書収集へのご協力をお願いいたします。要望書はAPFSウェブサイト(http://apfs.jp/)「注目のニュース」からダウンロードできます。提出日が決まりましたら、またこのブログもしくはAPFSサイトにてお知らせいたします。

2011年3月6日日曜日

スラジュさんパレード!

本日12時集合で、スラジュさんの事件の早期起訴処分を求める&一般の方にスラジュさんの事件を知ってもらうという趣旨で渋谷にてパレードを行ないました。

暖かな晴天で、参加者は総勢70名弱、ガーナ、日本、アメリカ、パキスタン、イランなど様々な出身国の人たちが参加しました。パレード中、道行く人にチラシを配りましたが、受け取りがよくなかなかの手ごたえ。途中参加の方がいたり、スラジュ基金にご寄付をいただくなど、とてもいいパレードになりました。。。

今回はスラジュさんの友人がマイクを持って先頭に立ち訴えました。APFSは様々な外国人の支援をしていますが、やはりそれぞれ外国人の友人知人が支援の輪を広げてくれるのが一番心強いものです。今後もスラジュさんの奥さん、ご友人、弁護団とともに、APFSはスラジュさん事件の真相解明のために動いていきます!

2011年2月24日木曜日

[スラジュ事件報告]千葉地検にて&パレードのこと

スラジュさんの事件に関して、昨年末に入管職員10名が送検されたことはここでもお伝えしました。その後、二ヶ月が経とうとしておりますが、何の動きもなく・・。そんな中で昨日は千葉地検に奥様と弁護団、APFSで捜査の経過を聞きに行きました(その場にはご本人と代理人のみということでAPFSは立ち会うことも許されませんでしたが)。担当の村上検事に直接お話を聞きましたが、結論から言うと、なんの新しい情報・今後の目処も明らかにしませんでした。その段階にないというのがその理由。被疑者の身柄を拘束している事件に比べて緊急性を感じていないのか・・とどうしても疑念を持ってしまいます。
今後、短期的には早期の起訴処分を地検に働きかけていく考えです。

スラジュさんが亡くなって早いもので来月で一年です。どれだけの人がこの事件を知っているのか(事件を知っていてもその後を知らない人がほとんどです)と問われると、支援団体としては不甲斐なさを感じるばかりです。
3月6日にはスラジュさんの奥様、ご友人と共にスラジュさん事件を多くの方に知ってもらえるように以下の日程でパレードを行ないます(APFSサイトでも告知してます)。ご都合のつく方はぜひご参加ください!

日時:2011年3月6日(日)12時~14時(解散時間は予定)
集合場所: 神宮通公園(渋谷駅東口徒歩10分 宮下公園隣)

2011年1月12日水曜日

スラジュさん事件送検 記者会見

昨年末の入管職員10名の書類送検に伴い、昨日1月11日17時15分より、スラジュさんの奥様、弁護団、APFSによる記者会見を行いました。送検のタイミングでの会見は若干微妙とも言えますが、事件から9ヶ月経ってもなかなか動きがなかったことで、この事件が忘れ去られてしまうことを危惧し、会見を行いました。

スラジュさんの奥様は会見の中で、送検されたこと自体は歓迎しているが、長期にわたる捜査、また奥様に対する警察からの聞き取りの中で、スラジュさんに既往症がなかったかしつこく聞くなど、持病が原因で死んだかのように持っていきたい警察の意図のようなものがみえたなど不満ももらしていました。

また、弁護団からは、昨年末に行われた法務省での証拠保全(スラジュさんが送還される際に撮られたはずのビデオテープなど、証拠となるものを破棄・改ざんされないために保全すること)では結局数時間待たされた挙句、期日延長となり(証拠保全で期日延長になっては意味ないですよね)、昨日の証拠保全では、こちらが希望していたものの半分しか出してこなかったことなどを報告しました。

色々と阻むものは多いですが、真相究明に向け前に進んでいると信じてこれからも活動していきます。皆様からの引き続きのご関心、ご支援をよろしくお願いいたします。